理想の学園づくりと学部改編の取り組み

理想の学園づくり

「激動の時代の開幕」と呼ばれた1970年は日本万国博覧会が開かれた年であり、ベートーヴェンの生誕200年を記念する年でもありました。
武蔵野音楽大学は新しい時代を迎え、改めて「音楽美の創造、理解、感得を行い、これによって高い美的情操と豊かな人間性を養う」という建学の理念に目を向けることを強調し、本学園の教育の根底に「音楽芸術の研鑽」と併せて「人間形成」があることを再確認しました。創立者福井直秋は、芸術の深さはこれを生みだす者の人間性に深くかかわるとしたが、武蔵野音楽大学はそれに則って、幅広い教養を身につけた健康な人間の育成に意を用い、音楽専門教育はもちろんのこと、一般教科、生活指導にも重点を置くことを重ねて表明したのです。
それからの10年は、自然環境に恵まれた広大な敷地に理想の学園づくりを目指した壮大なプロジェクト―「入間校地」の完成―、さらに国際音楽教育ゼミナールの開催、学生オーケストラのヨーロッパ演奏旅行などに象徴される国際活動によって国の内外に武蔵野音楽大学の評価が一段と高まり、それに伴って教育内容の充実がはかられた時でもありました。

早くから開設が待たれていた武蔵野高等学校音楽科(現 武蔵野音楽大学附属高校)は、1973年緑あふれる埼玉県入間校地に誕生しました。これは学園が音楽の一貫教育と早期教育の重要性を認識するともに、ベートーヴェンやシューベルトなど古今の大作曲家たちもそうであったように、感受性の鋭敏な生徒たちがこの自然の表情の美しい変化から、豊かなインスピレーションを獲得することを期待したからです。

そして1974年の夏、江古田、入間両校地の施設を利用して“音楽専門家と聴衆の教育”をテーマに「国際音楽教育ゼミナール」が、福井直弘学長と西独オルデンブルク大学のエゴン・クラウス教授を議長として開催され、運営・内容ともに“完全なるゼミナール”として参加者から感激の賛辞が寄せられました。
これはとりもなおさず学園の教育内容、運営が欧米先進諸国の教育機関に勝るとも劣らないことが認められた結果でもありました。
創立50周年を2年後に控えた昭和52年(1977)、武蔵野音楽大学管弦楽団は西独のボンで開かれたベートーヴェンの没後150年を記念するフェスティバルに招かれ、初めてのヨーロッパ演奏旅行が実現しました。

学部改編への取り組み

昭和50年代は日本経済が未曾有の好景気、いわゆる “バブル景気” に突入する一方で日米経済摩擦が激化、また人口構造の変化によって当時は増大を続けていた大学受験者数が近い将来減少することが見込まれるなど、不確定要素に満ちた時代でした。
時代の動向を敏感に察知した武蔵野音楽大学はこれを契機に思い切った学部改編計画に着手しました。その骨子は設立当時の意義とニーズを失った大学音楽学部と短期大学それぞれの第2部を廃止し、発展的にこれらのもつ定員を音楽学部第1部に統合、さらに音楽の芸術性追求の深化とあいまって4年制大学志向の学生が増えている現状に即して、近い将来同様に短期大学そのものを廃止することを視野に入れたものでした。
1981年、卓越した先見性をもって学園の発展に努力、入間キャンパスの開設という大事業をはじめ、学園の国際化の面などで大きな功績をあげた福井直弘理事長・学長が急逝。享年69歳でした。

■昭和4年(1929)
   ● 4月4日 江古田9号館落成
■昭和46年(1971)
   ● 7月8日 入間校地開設、運動施設落成
■昭和47年(1972)
   ● 2月 9日 武蔵野音楽大学武蔵野幼稚園設置認可
   ● 5月20日 入間研修所落成
   ● 12月15日 武蔵野ハイム(入間女子学寮)落成
■昭和48年(1973)
   ● 2月 7日 武蔵野高等学校設置認可(全日制課程音楽科)
   ● 3月15日 入間1号館、2号館、3号館、4号館(エネルギーセンター)落成
   ● 4月 1日 武蔵野高等学校開校、福井直弘校長に就任
■昭和48年(1974)
   ● 4月 5日 桜台学舎落成
   ● 8月15日 愛水寮(入間男子学寮)落成
   ● 9月18日 ポーランド人民共和国(当時)よりショパン像寄贈される

   ●12月15日 音楽学部(第2部)収容定員増加認可

■昭和50年(1975)
   ● 3月15日 入間5号館落成
   ●10月30日 入間6号館、武蔵野ハイム(入間女子学寮)2号棟落成